出川哲朗(52)の夢を見た。なんということであろう!! 初夢がザリガニの相方である。しかし出川哲朗、一富士、二鷹、三茄子、と縁起を数えていけば五、六番目くらいに鎮座してもいいような気もする。不思議な男である。というわけで喜ぶべきか悲しむべきかははっきりしないけれども見てしまったのである。白内障なのか白眼をむいていたのか、瞳のない眼で恨めしげにこちらを斜めに見上げていた。
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正確には、夢のなかの出川哲朗はスライドショーのように脈絡なく次々現れては消える大勢のなかのひとりであった。ホーキンス博士やケビン・コスナー、篠原信一六段、ダイアン・アーバスの写真に出てくる双子、「ドキュメント美熟女不倫旅行 人妻の湯 其の2」の色白女、ミルコ・クロコップ、笑う大江健三郎などの錚々たるメンツのなかに混じって最も印象に残ったのが出川哲朗なのである。正月早々、たぶん悪夢である。
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しかし出川哲朗が夢に出てきてしまった理由はなんとなくわかる。このところその人気についてときどき思い出してはポツポツと考えていたことがあったからだ。で、Wikipediaを開いて出川哲朗の「特徴」の項目に次の記述を見つけて、なんとなくわかったような気にもなっていた。
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《視力が悪いため、テレビ番組に出演する際などにはコンタクトレンズを使用している。
滑舌が悪く、よく噛んでいる。耳が遠く、聞き間違いが多い。
手の小指の第一関節・第二関節だけを同時に90°曲げられ、指折りで数える時は親指から順番に拳を開いていくという独特の数え方をする。》
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これを読んでなんとなくわかっていたような気になっていたものを言葉にすると「異人」ということである。これもWikipediaから引用しよう。
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《(異人とは)社会集団の成員とは異質なものとして認識された人物であり、異界の住人、異国の人・異邦人・西洋人、普通でない性質を持つ人・優れた人・不思議な術を使う人を意味する。共同体の外部から内部へ接触・交渉する形象、ともされている。》
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うむ。説明はさらに続く。
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《異人と呼ばれるものの例としては、「まつろわぬもの」・もののけ・語り部、霊的存在・まれびと、神・来訪神、宗教者・職人・商人・乞食・旅行者・巡礼者、難民・犯罪者・強制的に連行されてきた人々、被差別民・障害者などもある。》
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“道化など芸能者”という大事なものが抜けている。トリックスターも。私にとっての出川哲朗のイメージは、田舎道を山の向うからひとりトボトボと歩いてきて反対側の山裾に消えていく旅人、というか、目的地をもたない漂泊の人である。平べったいダミ声で「ヤバいよ、ヤバいよおー」とよばわりながら。ああ、「ヤバ」というものを売って歩いているのだということにしてもいい。ちょっとした戯れごとを披露しつつ「ヤバ」を売り歩く行商人。まあ現代の風景ではない。
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“ヤバ売り”出川哲朗のイメージは、もちろん視力が悪く、耳が遠く、滑舌が悪いというところから、つまりなにがしかの困難をもつためにムラの暮らしからはじき出されてしまった人である。念のために断っておくけれども、なにも出川哲朗を差別的に見ようとしているわけでも、被差別者であるといいたいわけでもない。そんなことには興味がない。たぶんそんな事実もない。
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出川哲朗がテレビに出はじめたころはあまり好きではなかった。大声で進行に割り込んできておもしろくもないオレ話をする空気の読めない男でしかなかった。ウッチャンナンチャンの専門学校生時代からの知り合い、というのが唯一の取り柄だったような気がする。
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それがなんとなく風向きが変わってきたのは、たぶん2000年頃からだろうと思う。またWikipediaにお世話になろう。正月疲れなのである。
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《「汚れ」キャラクターが世の中に浸透していくにつれ、女性視聴者層から敬遠される傾向が出始め、女性ファッション誌『an・an』が毎年行っている読者アンケート「嫌いな男ランキング」では毎年上位にランクインするようになり、2001年から2005年までに5年連続1位を達成し、「殿堂入り」扱いとしてアンケートの対象から除外された。》
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この“「汚れ」キャラクター”はいまでいうヨゴレとはまったく異なる。なにごとかにトライして見事に失敗してみせるとか、下ネタを連発するとかではない。出てこなくてもいいのに出てきてただただ無意味にワーワー騒ぐのである。人にどんなにイヤな顔をされようがいっこうに気にしない。
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もちろんヨゴレの要素もフル装備していたわけではあるけれども、むしろ当時の出川哲朗は「嫌われ」キャラクターであったといったほうが正しいと思う。そしてこれはバラエティ番組を製作するうえでたいへん重宝な性質であったのである。またまたWikipediaからの引用で恐縮である。
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《2000年頃、広島テレビの松紳という番組で島田紳助が出川が何故生き残ってこれたのか?について語っている。出川は何の実績も残していないのに長期に渡り芸能界で生き残ってこられたのはあいつの凄さだという。MC側としては出演者欄に出川の名前があるだけで「何とかなる」と思わしてくれる芸人であり、ホームランや長打は打てないけど、内野安打は打ってくれる。打てない状況でも次につながるように攻撃をしてくれる。彼に振る事で番組のテンションを上げてくれると、述べている。》
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つまりMCにとってたいへん実用的な人材だということである。これは要するにぞんざいに扱ってもちっとも可哀想に見えない、イジメや嫌がらせのような陰湿、悲惨なものには見えないということである。イジメても可哀想に見えない。こんなにラクなことはない。
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MCが出演者に対してなにごとか突っ込むとき、通常はそれをどうやってオブラートに包み、いやらしく見えないようにするかに腐心するものなのだけれども、その心配はいっさい要らないのである。出川哲朗、いってみれば殴られ屋であった。
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で、それから月日はめぐって幾星霜、殴られ屋出川哲朗は殴られのベテランとなり、殴られのノウハウを武器に自ら笑いを喚起することができるまでになったのである。つまり「異人=ヤバ売り」から「ヨゴレキャラ」、「嫌われキャラ」を経て、「殴られ屋」となり、それからようやく、ほとんど唯一無二の存在感を放つお笑い芸人となったのである。
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それは日本のテレビというムラが、どこかのムラではじかれて流れてきた異人を小突き回し、受け容れ、ささやかながら居場所を拓かせ定着させてきた歩みである。出川哲朗が本格的にテレビに出はじめたのは1990年ごろだといわれているから、およそ25年かかっている。なんだか大げさだのう。
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ともかく、いまでもバラエティ番組に出ている出川哲朗を見ていると、いつもどこか異質な感じがするのである。それは殴られ屋の血の匂いのときもあるし、嫌われキャラの薄ら笑いのときもあるし、まったく掴み切れないクソテツ(by 妻・阿部瑠理子)のときもある。縁起のいい夢の五、六番目のときもある。視力が悪く、耳が遠く、滑舌が悪い異人はそのようにして日本のテレビムラで生き延びてきたのである。
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ついでにいってしまうと、出川哲朗のこの異人感は、視力が悪く、耳が遠く、滑舌が悪いことと決して無縁ではないように思う。それ以上のこと、なぜ出川哲朗が異人になったのかのそもそもはよくわからない。あまりに素直に育てられ過ぎてしまったのかもしれない、という気はする。ちょっと遅いけれども高校時代はヤンキーだったというし。
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で、これからの出川哲朗である。出川哲朗は横浜放送映画専門学院演劇科の出身である。まだもう少し時間が必要だけれども、ぜひ「座頭市」を主演で1本撮ってもらいたいと思うのである。指を開いていく数え方がよく似合う。ビートたけしよりもずっと凄みのある、怖い「座頭市」ができあがるはずだと私は思う。ビートたけしがやるべきは、前にも書いたけれども「フーテンの寅(黒バージョン)」のほうである。
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うむ。初夢に現れた出川哲朗、瞳のない眼で恨めしげにこちらを見上げたあの顔は座頭市であったのである。「ドキュメント美熟女不倫旅行 人妻の湯 其の2」の女は何の暗示であろう? なにをエラそうに考えるまでもない。私はヨゴレ。(了)
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