2017年1月15日日曜日

小難しそうに「感情労働」だって。それ時給でいくらになんの?



「感情労働」。浅学にして昨日はじめて目にした言葉である。猛烈な違和感がある。え? オラ感情までは売らないよ、魂は売ったけど、くらいのものである。なにごとか新しい視点を供給しようとしているのであろうけれども「感情労働」とネーミングされている時点ですでにダメの匂いがする。



ああ、やはりこれは英語の直訳であるらしい。「Emotional Labour」。主な意味はWeblioの解説によると、「肉体や頭脳だけでなく『感情の抑制や鈍麻、緊張、忍耐などが絶対的に必要』である労働」のことだという。“感情の働き・変化が絶対的に必要な労働”と“感情の労働”とは意味がまったく異なるけれども、「感情労働」といわれれば“感情の労働”だと思ってしまうではないか。



いいわけである。「肉体労働」といえば主に肉体によってする労働であり、「頭脳労働」といえば主に頭脳によってする労働であるとふつう考える。そこで「感情労働」といわれれば主に感情によってする労働、と連想する。だろ?



Weblioの解説に戻って「『感情の抑制や鈍麻、緊張、忍耐などが絶対的に必要』である労働」とはたとえば接客業のことであろうか? しかし考えてみれば接客業における笑顔や気配りはそれ自体で対価を生む、つまり提供するサービスの一部をなすこともあるけれども、多くの場合はサービスや商品の提供を円滑にすすめるための態度、見方を変えればテクニックにすぎない。たとえばキャバ嬢が前者であり、販売員が後者である。



こうした“態度”は肉体労働や頭脳労働の分け隔てなく快く仕事をしていくために大切なものである。いやいや別に仕事の場面だけではなくて社会で他人と上手くかかわっていくためには絶対に必要な基本的素養である。いつも明るく、やさしく、思いやりをもって。そんなに大それたことではない。



「『感情の抑制や鈍麻、緊張、忍耐などが絶対的に必要』である労働」、「感情労働」とは、もう少しわかりやすくいえば「感情に大きな、逃れられない負荷がかかる労働」ということである。



とうぜんそんな「感情労働」を「肉体労働」、「頭脳労働」と横並びにはできない。「感情労働」はまったくレベルが違う、元も子もなくいってみれば労働行為に感情の表現をプラスアルファするお話なのである。それをさも同じレベルにあるように錯覚させるネーミングなので猛烈な違和感を感じるのである。



まあ、「感情に大きな、逃れられない負荷がかかる労働」というのもまだ少し大きすぎるくらいで「感情負荷型役務」くらいのことでいいのではないかと思う。Wikipediaの解説を覗いてみよう。



《感情労働に従事する者は、たとえ相手の一方的な誤解や失念、無知、無礼、怒りや気分、腹いせや悪意、嫌がらせによる理不尽かつ非常識、非礼な要求、主張であっても、自分の感情を押し殺し、決して表には出さず、常に礼儀正しく明朗快活にふるまい、相手の言い分をじっくり聴き、的確な対応、処理、サービスを提供し、相手に対策を助言しなければならない。

つまり相手に尊厳の無償の明け渡しを半ば強制される健全とは言いがたい精神的な主従関係や軽度の隷属関係の強要である。年功序列や接客業など、こちらの生活や人生が相手の判断で左右される職種において発生しやすい。現代日本の労働環境において解決すべき課題の一つだと言える。

ゆえに、企業や労働者にとって事前に作業量の予測や計画を立てるのがはなはだしく困難であり、作業習熟による労働効率の向上があまり期待できない点において、従前の肉体労働、頭脳労働と決定的に異なる。》



うむ。どこのどなたがお書きになったのかはわからないけれども、「従前の肉体労働、頭脳労働と決定的に異なる。」というところに、「感情労働」を大きく見せようとする気配が潜んでいるのである。ひねくれとるのかのう。



しかし、おいおいおい、である。ここに記されている「理不尽かつ非常識、非礼な要求、主張であっても、自分の感情を押し殺し、決して表には出さず、常に礼儀正しく明朗快活にふるまわ」なければならないという理不尽、「尊厳の無償の明け渡しを半ば強制される健全とは言いがたい精神的な主従関係や軽度の隷属関係の強要」という不合理は、いまやあたりまえに法律による処罰の対象である。ましてや“労働形態”として認められているわけでは決してない。



と、いうような時代錯誤を指摘する批判を意識したのであろう。Wikipediaの同じページに「職種」という項目が設けられている。



《感情労働に従事する職種として、かつては旅客機の客室乗務員が典型とされていたが、現代では看護師などの医療職、介護士などの介護職、コールセンターのヘルプデスク、官公庁や企業の広報、苦情処理、顧客対応セクション、マスメディアの読者や視聴者応答部門などが幅広く注目されるようになってきた。もちろん従前のホスト、ホステス、風俗嬢などの風俗業、秘書、受付係、電話オペレーター、百貨店のエレベーターガール(1990年代からは各社とも廃止の一途を辿っている)、ホテルのドアマン、銀行店舗の案内係、不動産営業等のサービス業も感情労働に該当する。》



まあ、いろいろ書いているけれども、ここで現在ほんとうに逃げ場のない「感情負荷型役務」といえるのは、「コールセンターのヘルプデスク、官公庁や企業の広報、苦情処理、顧客対応セクション、マスメディアの読者や視聴者応答部門」、つまりなんだかんだいいつつもクレーム対応くらいのものであろう。



これらははなっから謝る役目である。謝り専門、殴られ屋である。この時点では謝るという役務のみによって雇用されているのである。口調にふざけ半分や侮りを読み取られてはならないのである。これは立派な「感情労働」、「感情負荷型役務」である。しかしこう考えてくると「感情労働」という言葉の中身はかなりスカスカである。



ではなぜ「感情労働」などということがいい出されたのか、と考える。ここに昨日はじめて「感情労働」という言葉を目にしたその記事がある。『ダ・ヴィンチニュース』(2016年12月14日配信)の【仕事中は「常に笑顔」「常に我慢」という人は要注意! 実務以外の「感情労働」のストレスから自分を守る方法】である。



『あなたの仕事、感情労働ですよね?』(関谷大輝/花伝社)という本の紹介である。こう締めくくられている。



《著者は、仕事のストレスを減らす絶対の正解はないと断りつつも、予防の大切さを説く。その第一歩が、自分が「感情労働」をしていることを知り、負荷に気づくことだという。今の社会の労働環境の多くは、自分以外の誰かを良い気持ちにさせることが優先だ。だが、心は自分のものであり、感じてはいけない感情などない。本心は本心で堂々と認め、偽りの仮面を被らざるを得ない自分を労ってあげてほしい。読書1冊で、「今の嫌な職場がパッと素敵に変わります!」とは言えないが、自分の本心を閉じ込めて窒息してしまう前に、知識を得ておくことは、きっと良いことに違いない。》



「感情労働」のし過ぎで辛くなったら「偽りの仮面を被らざるを得ない自分を労ってあげてほしい。」というだけである。ねぎらう方法についてはたぶんネタバレになるとの配慮であろう書いていない。しかし、なあ。



著者は本気でそう考えているのだとしても、「感情労働」という概念を持ち出したこと自体、実際に働く者にとってはプラスにならないと私は思う。それどころかマイナスである。「感情労働ができていない!!」という叱責の声が聞こえるようである。「感情労働」というタームが生まれたがゆえに労働に対する要求がさらに厳しくセコくなるのは目に見えている。



かつて「お客さまは神さまです。」という言葉が流行ったとき、多くの社長サンたちは「おお、そうよそうよ。ウチの従業員もみんなそんなふうに思ってくれたらのう」と淡い幻想を抱いたのである。しかしそれは幻想である。誰でもまずは金のために働いているのである。それを安月給で神さまに会いにこいといわれてもなあ、である。



つまり、そういう社長サンがコントロールできていなかった働く者の心の自由、心のうちの悪態つきの自由、「偽りの仮面を被らざるを得ない自分」を憐れむ自由までも、「感情労働」という言葉は奪い取ってしまいかねないと思うわけである。「感情労働がなっていない!! お客さまへの心がなってない!!」。



「感情労働」を要求するならまずはその分のギャラを約束しろ、である。あるいは従来の給与なりからそれに相当する部分を切り分けてみせろ、である。対価が発生しない雇用労働などあってはならぬ。それは奴隷労働というものだ。



あ、そうそう。往々にして人は自分の仕事を実際以上に難しいものと考えたり、大げさに捉えたりしがちだ、と書いたことがある。1月8日だった。「感情労働」はそういう人たちにとってもたまらない好餌であろう。「感情労働だからね、メンタルのケアにもパワーかけないとね」。そうやって自らどんどんどんどん不幸せになっていくのである。そもそも大の仕事嫌いの私がいうのも気が引けるけれども。 (了)







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