2017年1月4日水曜日

「昭和天皇御製カレンダー」の平成29年版がある?



社会学者の大澤真幸(56)が、年代が元号で語られるのは昭和40年代まで、というようなことをなにかのついでに書いていた。つまり昭和50年代というよりは1970年代、1980年代といわれることが圧倒的に多いということである。なかなかナイスな発見であった。



昭和40年代から日本社会も徐々に国際的に開かれ、世界の一部として考えたり語られたりする場面が多くなった、ということであろう。大澤真幸がこれを指摘したのはまだ平成がはじまってまもない時期であった。



平成になってすでに約30年を経たいまでは、過去の年代はほとんど西暦で示されている。元号表記と西暦表記が混在するのはややこしいし、元号をまたいだある期間の長さなどは西暦表記でなければ直感的に把握しづらい。平成の歴史が長くなったぶん、平成の出番は少なくなった。



ということで、しかし大澤真幸のナイスな発見の寿命は短かったのう、と片付けるわけにはいかないのである。かつて私たちの近代には明治・大正・昭和という元号で示されるものと西暦で示されるものとの2つの時間の層があって、昭和40年代までの記憶は明治・大正・昭和の層に、それ以降の記憶は西暦の層にも属している、と教えてくれたのである。



で、その2つの層の折衷の時代も終り、現在、私たちの時間はもっぱら西暦の層に乗り変わってしまっているのである。人々の記憶も歴史も時間が経ち世代が変わるに連れて次第に西暦に乗り移っていく。



元号表記にことさらの意味を見いだそうとしているわけではないけれども、昭和に育った私はすべからく西暦表記に移行していく世間になにか大切なものを剥がされていくような心もとなさを感じるのである。トシだからか。自分の時間、自分のリズム、自分の間合いが失われてしまう、というような感じがする。もう一生エイトビートから逃れぬのかのう。



さて、そんなこんなで「平成29年」のカレンダー、暦がほしかったのである。ところがそんなものはどこにもない。銀行でも郵便局でもデパートでもショッピングモールでも、2017年と併記されているものさえ見つからない。そうか、やはりタダで手に入れようという貧乏臭い魂胆がいけないのである。



で、近くの書店へ行ってみた。そこにもない。根性のないヤツらだ。どうして「平成29年」表記がないのかといえば、たいへんはばかられるけれどももしかして万一、平成が終わってしまうかもしれないと危惧しているからである。それは誰でも憂いているはずである。



だがしかし、刷り直しするとカネがかかるとか扱いに困るかもしれないとか、そんな些細な理由で「平成29年」がなくなってしまっていいものであろうか? 暦を刷り直すくらいのことをどうしてそんなに怖れるのであろう。こういう合理性へのちっぽけなこだわりがニッポンをつまらなくしているのである。



よし!! であれば初詣かたがた神宮で買ってこよう。神宮なら「平成29年」表記の暦が必ずあるに違いない、と考えたわけである。それでも念のためと思ってネットで検索したところ、大発見をしたのである。冒頭にご紹介した大澤真幸のナイスな発見よりもインパクト大である。



日本文化興隆財団というところから発売になっている、「平成29年『皇室カレンダー』」である。



日本文化興隆財団とは、ホームページによれば《昭和43年3月11日、全国神社総代会において神社会館建設準備委員会結成を決議、昭和45年2月19日に「財団法人国民精神研修財団」として設立され、以後、全国神社総代会会長(日本商工会議所会頭)などが当財団の理事長に就任するなど、神社界と連結した運営を行って》いる団体である。なにを怪しいとするかは人それぞれであろうけれども、とりあえず立派な団体である。「皇室カレンダー」の制作・発行は菊葉文化協会というところが担当している。



「皇室カレンダー」には壁掛け式(1000円)、卓上式(500円)がある。そしてさらに「昭和天皇御製カレンダー」(1000円)というものもある。すべて2ヵ月分の日にちが1枚ずつに納まっている。壁掛け式には化粧箱セットもあって、こちらは1100円である。



不肖ワタシが大発見だと目を丸くしたのは「 昭和天皇御製カレンダー」であった。昭和天皇および皇后の写真が使われていて平成29年版なのである。昭和天皇および皇后の写真をただ単純にビジュアル素材として考えるのであればなにも驚くことではない。たとえば吉永小百合(71)カレンダーとか佐々木希(28)カレンダーとかと同じである。



目を丸くした理由の一つ、その小さなほうから述べさせていただくと、すでにお亡くなりになっている方の写真が新しい年のカレンダーに使われていることであった。一瞬“むかしの「平成29年カレンダー」”が出てきたかのような錯覚に陥ってしまったのだ。これを購う、たぶんそうとう高齢な方々は、きっといまも昭和の時代を生きていらっしゃるのであろう。昭和の毎日を過ごしつつ、平成の日付を目印の記号としてつかっている。



そして同時にいくつもの時間が重層的に流れているのだということに改めて気づかされたことが、目を丸くしてしまった大きなほうの理由だ。先に述べた、明治・大正・昭和という元号で示されるものと西暦で示されるものとの2つの時間の層だけなどではなく、2017年、2016年、2015年の時間、平成の時間、昭和の時間などなどがいまこの瞬間にも同時に進行しているのである。その時間を生きた人間がいるかぎり。



あたりまえのことであるけれども、したがって“過去は過去として”といういいぐさがそのまま通るほど世の中は単純ではない。過去をスッパリ切り捨てようとするのであれば重層して流れている時間に垂直に刃を入れ、現在にたどり着く歴史の全体をつまびらかに検分し、考えなおさなければならない。



それはほとんど不可能なことだ。たとえば昭和20年代の恋愛観をワタシは理解できない。当時の恋愛映画を見ても主人公の行動がチンプンカンプンなときがある。



あれ? あ、そうか。元号表記から西暦表記に移っていくこころもとなさというのは、結局はワタシも一段下を流れる時間の古層に生きているということにすぎないらしい。うむ、時間をかけて自分はジジイだということを述べているだけだったのであるか。しょーもない。



あー、新年早々つまらないことをやらかしてしまった。どうしよう? しかも「平成29年のカレンダー」の件は解決していない。「昭和天皇御製カレンダー」はなんとなくおもしろそうだけれども、それを自分の部屋の壁に掲げておくのは、正直やはりなにか少し抵抗がある。



畏れ多いと感じているのかもしれないし、右翼的なイメージを嫌っているのかもしれないし、ただ写真の視線が怖いのかもしれない。自分のことなのによくわからない。天皇制への姿勢を明確にせよと迫られている感じがするのかもしれない。



時間は重層的に流れている。戦後民主主義の申し子のワタシはどうしよう? ここまでこんがらかってしまっては自分の写真を入れた手づくりの「昭和ボーイカレンダー」でもつくるしかないだろうなあ。それが戦後民主主義の申し子の、いつものやりくちなのよ。(了)







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