2017年1月9日月曜日

これからの10年は“残酷の時代”。シャレではすまないよ



ドナルド・トランプ(70)がアメリカ大統領選挙に勝利した理由を、童顔オジジの木村太郎(78)が「ポリティカル・コレクトネス疲れ」だと分析していた。ポリティカル・コレクトネスとは政治的・社会的に正しく、差別・偏見が含まれていない言動のことである。
※【トランプ勝利の理由 「ポリコレ疲れが出た」と木村太郎氏】「NEWSポストセブン」2016年12月6日配信



つまり民主党オバマ政権の理想主義に嫌気がさしたというわけである。具体的にいえば、たとえば移民の受け入れは正しいことだとはわかっていても、もはやそれを支持する気力・体力が失せてしまった、多少エゴイズムだとかなんとかいわれても、とりあえずは自分たちの利益を優先にしたい、というようなことだと思う。生きるってキレーごとじゃないんだわよ、と。



移民よりもずっと切迫した状況にある中東地域からのヨーロッパ難民も、煎じ詰めれば「ポリティカル・コレクトネス疲れ」による困難に直面している。積極的な難民受け入れを表明していたドイツも昨年の暮れから受け入れを厳格化させる方針を打ち出した。人道主義は後ずさりするばかりである。人が好いだけじゃオマンマは食べらんないんだからさー。



そんなこんなにあわせて、経済格差だとか人口爆発だとか資源枯渇とかいうカードをテーブルに拡げてボーッとしていると、当たらぬも八卦、予言が降りてきたわけである。これからは「残酷の時代」である。こんなんでましたけどー、といったのはハワイで射殺された霊感占い師・藤田小女姫(享年56)であった。



うむ。徐々に禍々しい雰囲気になってきた。そんな気分を決定的にしたのが『東スポWeb』(2017年1月2日配信)にサイエンスライターの川口友万(50)が語った以下の記事である。「仰天テクノロジー」はいくつか紹介されているけれども、頭部移植手術に関する部分を抜粋してご紹介しよう。



************************

【2017年の仰天テクノロジー!中国で頭部移植手術実現】

《誰でも年を取るのは嫌です。しかし老化はある程度止められても、若返りは無理とされてきました。時計の針は巻き戻せないはずだったんです。

16年、若いマウスと年を取ったマウスの血管をつなぎ、互いの血液が入れ替わるとどうなるのか?というちょっとグロテスクな研究が発表されました。それによると年を取ったマウスの老化に伴う心臓肥大が改善、筋肉の機能も回復、神経細胞が増殖して鼻が良くなり、認知症も治ったというとんでもない結果が出たのです。

若い血液で若返る! まるでバンパイアです。若返り因子の特定も進んでいて、いずれは注射や点滴だけで若返るかもしれません。》



前段部分でこれだとちょっと困る。この「ちょっとグロテスクな研究」がいつ、どこで、誰の手によって行われたのかがまったく記されていないのである。さすが東スポ!! と思ってしまうではないか。川口友万もな。まあ、いい。なんとなく例の「つ・な・げ・た・い」映画『ムカデ人間』(トム・シックス、2010)と通底する世界観を想起していただければ、と思う。で、記事は続く。



************************


《もっと怪しいのが17年に行われる頭部移植手術です。イタリアの医師セルジオ・カナベーロは、以前から首を切断して別の人間の体に付け替えることができると豪語していました。それに中国の執刀医が協力。首から下が動かないウェルドニッヒ・ホフマン病(脊髄性筋萎縮症)を患うロシアの男性ワレリー・スピリドノフ氏(31)が被験者として名乗り出ています。もし成功したら画期的ですが、そのやり方が極めて乱暴。スピリドノフ氏の頭部を脳死状態のドナーの体に接合するにあたり、ポリエチレングリコールという接着剤で神経をつなぎ、縫い合わせるというんです…。プラモデルじゃないんだから。

サルでは成功したそうですが、果たして人間でもうまくいくのか? 17年、中国で手術が行われる予定です。》



ポリエチレングリコールといえば化粧品などにもふつうに使われていて水溶性のはずであるけれども、そんなもので人間の首がくっつくのであろうか? サルで成功したというのはほんとうであろうか? 調べてみるとイタリアと中国の医学博士がチームを組み、モルモットや猿などで頭部移植の実験をしているというニュースをラジオで聞いたけれど…、という投稿が、2015年9月15日の時点でされているのを「Yahoo! 知恵袋」に発見したのである。はかない手がかりである。
おお、セルジオ・カナベーロで検索するとけっこう出てくる。まんざらデッチあげでもないらしい。



しかし、この相談者は「いまのところは1日しか生きていないとか1週間ぐらい生存したとかしないとか放送していました。」と書いているのである。それから2年、被験者として名乗り出たロシアのワレリー・スピリドノフ(31)の頭は大丈夫なのであろうか? 川口友万もな。『東スポWeb』にはワレリー・スピリドノフの御尊影まで掲載されていたので、すでに他人事でもない気分である。



で、なにをいいたいのかといえば、こうした人間をモノのごとく扱う、ように見える傾向は、自然界における人間の位置の凋落と同期しているように思えるのである。人間はすでに万物の長でもないし、食物連鎖の頂点に立っているわけでもないと知れている。一方では再生医療などの発達が生命の神秘性を少しづつ引き剥がしている。



人間もまた人間以外の生き物とそれほど変わらない存在なのだと自覚してしまえば、人道、人権といったこれまではあたりまえだった概念が揺らいでくる。自然界から搾取するばかりで還すことをしてこなかった、という反省も生まれる。人の体を資源として捉えるところまであと一歩である。というか「資源」という言葉がつかわれないだけで、すでに移植医療のなかではあたりまえの考え方であろう。



「人の体は資源」という言葉が今日の夕食時、耳に入ってきてもおかしくない。人の体、人間から精神性が失われていく気配が濃厚なのである。たとえば事故で肉親を失った方、遺族にとってはたとえ髪の毛1本しか残されていなくても、それは大切な大切な故人の全体を示すなきがらなのである。こんな思いも単なるセンチメントだとして片付けられるときが来ていると感じるのである。髪の毛1本だけのためにカネと時間のムダづかい。



でもって人口は爆発し、資源は枯渇し、「ポリティカル・コレクトネス疲れ」なのである。これはそうとう残酷なことになりそうである。20世紀は戦争と環境破壊の世紀であった。これから少なくとも10年は「残酷の時代」が続くような気がする。



人類はすでに多くのことを歴史から学んでいるし、自分を顧みるチカラもある。しかし「残酷」は人を陶酔させるのである。一度陶酔し、おっとっと、こりゃいけね、と目を覚ますまでに早くて10年。それでも必ず理想の旗を掲げる日はくるのだから、お互い恥や外聞を捨てでも生き延びていよう。おっとまた見栄を張ってしまった。恥や外聞なんてずーっとむかしに売っちまったんだよん。よんよんよん(BABYMETAL「4の歌」)。(了)







OCN モバイル ONE データ通信専用SIM 500kbpsコース


【DHC】最大70%OFFのSALE開催中!


CMで話題のコスメやサプリがSALE中☆





0 件のコメント:

コメントを投稿