2016年7月27日水曜日

町中で見かけるポケモンマスターのカッコわるさはなに?



よく街歩きをします。以前はほぼ毎日、そうもいかなくなってきた最近でも3日に1度はブーラブラです。そういえば以前、4ヵ月ほど仕事で閉じこもりきりになったときには、筋力が落ちたせいもあるのでしょうけれども、ちょっと歩き方を忘れたようになってしまって困りました。



人間の体というのは鍛えれば逞しくなるし使わないとすぐダメになります。あたりまえか。しかしその加減が、なんだかバランスをとりながらフワフワと宙に浮いているように微妙なものだ、と実感したのはそのときでした。健康には恵まれてきたおかげです。あ!! ただいま通りすがりの知り合いからトシのせいだろう、というご指摘をいただきました。ありがとうございます。



で、街を歩いているといろいろなものが目に入ってきます。最近はやっぱり「Pokemon GO」ですね。7月22日に配信開始でしたから、わずか数日のうちにあっちでウロウロ、こっちでウロウロの状態になっているわけです。



配信なのだからあたりまえといわれればそうなのですけれども、たとえば「ファイナルファンタジー」なんていうゲームソフトを買うのに数前日から徹夜で並んだ、というむかしを思い出せば、やはり隔世の感があります。



「Pokemon GO」に導かれてあっちへウロウロこっちへウロウロしているポケモントレーナーの方々を見ていて思うのですが、きっとみなさん、ポケモンゲームが楽しいということは周知されている、あるいはポケモンゲームをプレイすることは楽しげに見えているはずだ、と思っていらっしゃるのではないでしょうか。



そうでなければあんなにおおっぴらに公衆のまっただなかで夢中になったりはできません。そして残念ながら、世間のみなさまも使う公共の道なのだから、という遠慮や慎みみたいなものは、いまのところ、ほとんど感じられませんでした。



ここのところが微妙で、そもそもソーシャルゲームに興味がない方、嫌いな方というのも相当数いらっしゃるわけです。私も含めて。そういう者から見れば、路上でかなりなハイテンションでスマホに向かい合っている方々というのは、やはり一種異様なものです。意外に年齢層も高いし。



なにがいいたいかといえば、少なくとも急に立ち止まったり曲ったり、ふつうの歩行の流れを妨げるのはなんとかならないものか、ということです。事故が起きるからというのではなく、そのもっともっと前の、譲り合う、配慮しあう、というところでです。



それと、「Pokemon GO」には部屋にばかり閉じこもっていないでオモテに出よう、というメッセージがあるとかいうお話です。けれども、3日に1度はブーラブラの私にいわせていただければ、あんなにスマホに首っきりでは、外歩きの楽しみの半分は失われています。人々や建物のたたずまいの変化を眺めながらゆっくり歩く、そこで何かに気付くことが街歩きのおもしろさです。



まあ、それでも歩き方を忘れないためには有効ですし、閉じこもりがちな方にはオモテに出るひとつのきっかけとしていいのではないか、と思います。そのときにはぜひ、公園なりカフェなりでボーッとまわりを見回す時間をつくっていただければ、と思います。うむ。



で、「Pokemon GO」ですけれども、もうすでにブーム化しているわけですが、案外、早々に終息するのではないか、と私は思います。おそらく「Pokemon GO」にうつつをぬかしているのは世間全体から見ればきわめて少数派で、これからもそうは増えないだろうと見込みが立った時点で熱は冷めます。



「Pokemon GO」は最初にアメリカで発売されて人気になり、それから日本へ、という経過をたどったこともあって、ポケモントレーナーの方々の中にはちょうどMacエバンジェリスト(伝道師)のような気分の方も多いのではないのでしょうか。まあ、時代の先っちょいってます的な。



それが、先に述べた、ポケモンゲームが楽しいということはすでに周知されている、あるいはポケモンゲームをプレイすることは楽しげに見えているはずだ、という気分と合わさって、一種のゲームエリート的なステイタスを感じさせているのではないかと思うわけですよ。



で、実際はそうでもなかった、眉をひそめている人も多い、となったときに、「Pokemon GO」に引きずられてあっちへウロウロ、こっちへウロウロ、は実はひどくお調子にのったカッコ悪い姿ではなかったのか、となってしまうような気がします。



見方を変えると、「Pokemon GO」に連れられてオモテに出たものの、それは部屋に閉じこもってゲームに首っ引きな、まったく無防備な自分の姿を公衆の面前にさらしただけではないのか? ということですね。マーケティングにすっかりやられてしまっているカッコ悪さというのも、もちろんあります。



さらに、これから「Pokemon GO」延命のためにさまざまなオプションなりが投入されるにつれ、あの懐かしくも忌まわい「オタク」という言葉が急接近してくるでしょう。そんなこんなで、たいへん申し訳のないことですけれども、「Pokemon GO」、急速にポシャると私は見ています。



では、お前は街をブーラブラして、なにを見てなにに気付いたのか? とおっしゃいますか。そーさなー、最近はまたさらに一段、街行く人々の服装がグレードダウンしました。貧相、みすぼらしい、というといささか語弊がありますけれども、ここ数年そうした傾向が続いています。で、ここへきてまたガクンと下がりました。誰か今年の夏物買った人いる? というくらいに。



景気がよくない、生活がキツい、というのは街を歩いているとヒシヒシと伝わってきます。高齢者の場合ですが、試しに年金支給日に公共料金の支払い窓口やスーパー、ファストフード店などにいってみると、ふだんとは比べものにならないくらい大勢いらっしゃいます。



私の住んでいる近くでも、年金支給日には、ふだんはあまりお見かけしないお年寄りがたくさん外出なさいます。そうそう、驚いたのはランチタイムの回転寿しですよ。明らかに年金受給者と見られる高齢者と、その働かない息子、みたいな2人組、3人組を何組も見ました。先のことを考えるとなんだか暗くなります。



でもって、服装が貧相、みすぼらしくなった理由には、もちろん、服装にあてる予算が減ったことがイチバンでしょう。そして、全体的にあまり身なりに気をつかわなくなった、とりあえずカジュアルでよしとする風潮が定着したことも上げられます。とにかく着ていてラクなものがいいというラクチン志向ですね。



そして安さも含め、そうした安逸ニーズに対応できる、しかしすぐ着崩れするファストファッションが、世間の貧相化に拍車をかけている、ということではないでしょうか。



いいものを長く着たほうが結局はおトク、ではなくて、安物を長く着たほうが経済的、という時代です。私などは1年365日、1日24時間、ハイキングにでも行くような恰好で過ごしています。で、そーさなー、と首をひねらないと前回を思い出せないほど衣類は買っていません。



服装に回す予算が減っているのは、もちろん収入が目減りしているからです。さらに収入が減っていなくても、少しでも多く貯蓄に回そうとしているからです。それほどみなさん将来に不安があるということですね。生まれてこのかた、お年玉貯金以外はしたことがない私がいうのも恐縮ですけれども。



貧乏になって被服費の次に削るのは食費です。若いころは被服費の前に食費を削りますが、年寄りは食べることだけが楽しみだもんでですのう。しかし食費まで削らなければならない事態も、もうすでに着々と進行しています。

といいますか、厚生労働省の発表にもとづいて、2011年には2053人もが「餓死」しているということがいわれます。そのうちわけは

◆栄養失調(症):1701人
◆その他の栄養欠乏症:307人
◆食糧の不足:45人

で、「栄養失調(症)」は偏食や病気が原因でも起こります。ですから食物の摂取を絶たれて死ぬ「餓死」者は、厳密には年間45人です。しかしともかく、不十分な食事が原因で2000人近くが亡くなっている、と考えてもよいのではないか、と思います。キツい状況です。



先ほどのお話の続きになりますが、ウチの近所のスーパーに入っているベーカリーでは毎朝、食パンの耳だけを袋に詰めて安く売っています。これをお年寄りたちが早い者勝ちで奪い合うのです。私も欲しいと思いましたがご遠慮させていただきましたよ。



そういう、高齢者が生きるために必死になっている光景を見ていますと、これは天明の大飢饉並みのサバイバルゲームじゃなかろーか、とさえ思います。「Pokemon GO」で街に出たら、公園やカフェでひと休みしたら、その次には、ぜひこんなところも見ていただきたいものだと思います。(了)




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