2016年7月21日木曜日
永六輔と大橋巨泉は、「昭和」にフタをして去った気がする
7月7日に永六輔が、7月12日に大橋巨泉が亡くなりました。享年83歳と82歳でした。心よりご冥福をお祈りいたします。
*
これから少し無礼な発言をするかもしれませんが、それはただ私にとってのおふたりの死の意味を考えるうえでたどらなければならない経過です。決して故人をけなそう、おとしめようとしているわけではないことを、ぜひご理解いただきたいと思います。
*
これまで、誰の訃報に接しても「ひとつの時代が終わった」などと思ったことはありません。あるおひとりを除いては。しかし、大橋巨泉死去のニュースが入ってきた昨日から本日ただいま未明にかけては、「昭和」ということがアタマから離れなくなりました。
*
もちろん永六輔、大橋巨泉の死をもって昭和が終わったなどというのは、たいへん大げさです。たとえそういう称揚のしかたが故人に対する礼儀というものだとしても、私には抵抗があります。
*
「永六輔や大橋巨泉がいまのテレビをつくった」、といういい方もされていました。しかし申しわけありません、これにも、いやそれは電通じゃないの? という違和感が先に立ちます。性格が悪いです。
*
しかし、おふたりの死が私の気持ちのうえで「昭和」になにがしかの区切りをつけたのは事実で、それを考えていたわけです。で、それはなにかというと、昭和後半のある一面、いってしまえば「ぬる〜い昭和」の終りということです。
*
時代というのは文字通り、一筋縄では行かないものです。さまざまな色が織り合わされつつ流れていきます。そのうちの昭和後半の「ぬる〜い昭和」が、私の場合、平成28年になってようやく終わったのだ、というのが実感です。
*
それはたとえば、アメリカのジャーナリズムをして“日本人は分裂症か?”といわしめた戦後、昭和30年代のロカビリーブームだとか、“あそこで誰かひとり飛び降りていれば……”と三島由紀夫にいわしめた昭和44年の全共闘による東大安田講堂封鎖事件とか、の昭和です。
*
三島由紀夫の“あそこで誰かひとり飛び降りていれば……”というのは、“あそこで全共闘の学生がひとり安田講堂の上から飛び降りて死ねば世論が味方についたのはわかり切っていたはずなのに、なぜそれをしなかったのか?”という意味です。結局、誰も死なない、と。
*
もちろん、その一方では、浅間山荘事件(昭和47年2月)や、テルアビブ空港乱射事件(昭和47年5月)、連続企業爆破事件(昭和49年8月〜50年5月)へと到る、決してぬるくない昭和もあります。あれ? こういう学生運動のお話ばかりしようと思っていたわけではないのですけれど。
*
しかし、そういう激烈な昭和の様相を眺めてきた目には、永六輔が“尺貫法を守れ!!”だとか“鯨尺は素晴しい!!”とかいっても、さらにぬる〜い感じがするわけです。
*
昨日のテレビでは、大橋巨泉は反体制的だったとか、みんなが猛烈に働いているときに遊びを仕事にしたのがスゴい、などと語っている人もいましたけれど、なにが反体制的ですか、スゴいもんですか。ぬる〜い!!
*
でもって、“いつまでも続く日常”、みたいなことがいわれだしたのが1980年代です。昭和50年代なかば。ああ、そういえば社会学者の大澤真幸(58)が、その年を「昭和」で数えるのは昭和40年代までだ、といっていました。そんなわけで、「昭和」の後半はどんどんどんどん、ぬる〜くなっていきました。
*
昨日よりは今日、今日よりは明日がきっとよい日だ、と信じられた、おおらかで退屈なほど平和だった一面の昭和。そしてぬるさだけが残った後半の昭和。それを担っていたのが、私にとっては永六輔と大橋巨泉だったような気がしています。あともうひとりタモリがいますが、こちらはまだご健在。
*
で、永六輔は昭和7年(1932年)生まれ、大橋巨泉は昭和8年(1933年)生まれです。そしてタモリは昭和20年(1945年)8月22日、なんと終戦の1週間後。その、なにかの判じもののようなタモリはさておいて、私のいう昭和後半のぬる〜い昭和は、実はその昭和7年、8年ごろからこっそりと準備されていたような気がします。腹立たしいことに。
*
ここのところの事情をご説明するのはとてもたいへんそうで、あまりアタマのよくない私の手には負いかねます。申しわけのないことです。とはいえここを素通りではこの文章の意味もありません。いつか必ずきちんと整理したいと思いますので、なにとぞご容赦ください。
*
ともあれ、昨日、平成28年になって、私のぬる〜い昭和が終わりました。これからは昭和にフタをして、きっととてもシリアスな2010年代がはじまるのでしょう。
*
ああ、そういえばタモリ、大橋巨泉のことを「テレビ局の玄関で待ってて『おまえの番組に出てやる出てやる』って、農家の庭先のニワトリみたいに」といっていたこともありましたっけ。
*
なにをいっているのかわからない? え! しかもいまごろになって「ぬる〜い昭和が終わった」なんていっているお前のほうがよっぽどぬる〜い? あー、そうか。そうでしたか!! やっぱりそうだったのかー。(了)
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿