アメリカの女性シンガーたちはどうしていつも裸同然の恰好をしているのだろう? テイラー・スウィフト(26)、レディー・ガガ(30)、ビヨンセ(34)がいまのビッグスリーだと思うけれども、みなさん相当に露出度が高い。
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ライブの映像を観ていて、あまりの過激さについ目を逸らしてしまうこともしばしばである。私は恥ずかしがり屋なのである。ウソである。しかしマドンナの場合だけはほんとうに目を逸らすか、または閉じる。自分の目を呪って生きていきたくはない。
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テイラー・スウィフトはこの3人のなかでは、やや露出度を抑え気味ではある。いってみれば不言実行タイプだからである。それはそれでまた独特の怖さがあるのである。なにをいっているのだか。
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グラミーや、それからオスカーの授賞式でも半裸の女たちが群をなしている。みなさんお寒くはないのか? お恥ずかしくはないのか? それよりなによりおつむがどうかしていらっしゃるのではないのか? と首を傾げるくらいにセクシーであられる。最近ダイエットに成功したらしいマライア・キャリーも(46)そうとうシドイ。
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あーんな胸元のお肉の盛り上がりに当地日本でお目にかかったのは、そうさなあ、むかしむかしの戸川昌子(83)とカルーセル麻紀(73)くらいのものである。また古いのう。ついでにくだらないことをいっておこう。
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戸川昌子、カルーセル麻紀とテイラー・スウィフト、レディー・ガガ、ビヨンセとの決定的な違いは、画面から伝わってくる匂いである。日本チームは日本海、アメリカチームはネバダ沙漠の匂いがする。それぞれに洗練を重ねても、どこまでいってもこのふたつは決して交わることがない。
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そうそう、そういえば、今年、2016年の日本アカデミー賞主演女優賞は安藤サクラ(30)であった。アメリカの、物量投入型の、そしてあまりにもあっけらかんとした肉体礼賛ぶりに呆れ果ててはいるものの、サクラはサクラでまた正直なところションボリなのである。どんなに激盛りしてもたぶん勝ち目はないのである。ベビードール激盛りでもサクラはサクラ、やはり大輪のバラにはなれない。
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風土や文化が異なっているのだから、あたりまえのことである。しかしなぜにアメリカの芸能界の女性たちはあれほど肌を露出するのか、露出がお好きなのか、どんなお気持ちで、ということは知りたい。ああ、そう。通りがかりの知り合いによれば、セクシーでなければダメ!! なのらしい。
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セクシーというのは「性的魅力のあるさま。性的なものを感じさせるさま。」(byコトバンク)である。色気がある、色っぽくてカッコいい、みたいなことであろう。いずれにしてもその根底には性、生殖がある。つまり相手があっての話である。
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けなしているわけではないけれども、露出の多いセクシーな服装というのは、突き詰めていってしまえば「繁殖可能です!!」ということをアピールしているのである。うむ。で、アメリカの男たちはそれを求め、愛でる、と。なんというか、結局それかよお!! そうだよ! それ以上なにがあんの? という元も子もない感じにいきつくのである。
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再びけなしているわけではないけれども、すべからくエンタテインメントにはセクシーが、「それ」がついてまわる。楽曲の歌詞もそう。ダンスの振り付けもそう。おかしくないか? で、そのことに違和感を抱いている自分は何者なのか、とも考えてみるのである。ああ、わかってきた。
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「kawaii」というやつ。私は別に「kawaii」でいてくれと誰かにお願いしたこともないし、いままで「kawaii」が好きでもなかった。しかしこんな私のような有象無象の存在も「kawaii」の成立にまったく無縁ではなかったと思うのである。
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私にとって「sexy」は海の向うの出来事である。しかしそれがテレビなどで盛んに喧伝されるようになるにつれ、なにかにつけの「sexy」に違和感を感じはじめてきたのである。「sexy」の侵略である。
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「sexy」にはオドオドしてしまうけれども、「kawaii」なら心は平安である。でもって、その心性が「日本には女の子とオバサンしかいない」といわれる状況をつくりだすのにも貢献しているはずだ、ということである。
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問題は、「女の子」と「オバサン」のあいだにいるべき「女性」がいないということではなく、「女性」を示すパラメータがないということだ。男としては、「女性」を否定しているわけではもちろんない。女の「性」は不要、それはただ男の「性」の反映であればいい、と思っているわけでもない。しかしアメリカでの「 sexy」に替わる適切な形容がない。それがいまの私たちの日本海の匂いのする文化だ。哀しみ本線日本海である。
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ついでだけれども、この場合、「哀しみ本線日本海」の場合、「ニッポンカイ」とはお読みにならないはずである。日本海は「ニホンカイ」である。「ニッポンカイ」ではさすがの石川さゆり(58)も歌いこなせないのである。日本は「ニホン」。突然の議員立法で「ニッポン」もあり、と決めるなんてイカしてる、おっと間違いた(by荒木経惟)イカレてるぜ。
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女性の形容である。艶っぽい、粋、優雅、典雅というと少なくとも20代後半からのイメージで、しかも静的である。株式会社典雅の社長はたんぽぽ川村エミコ(36)の彼氏である。カタカナに頼るのは癪だけれども、エレガントだとかシックだとかいうと、なぜだがLUXを思い出す。つまりキャサリン・ゼタ=ジョーンズ(46)クラスである。
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年の頃だけをいいあてるのならば「娘」であろう。しかしこれは未婚であることが条件になる。独立・自立している感じもない。「嬢」も未婚の女性である。むかしは美空ひばり(享年52)のことで、最近では接待飲食店のホステスのことでもある。「sexy」に替わる言葉を見つけるのは容易ではない。
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アメリカでは、たとえば女性歌手がステージに上がれば、すぐにセクシーかどうかという目で見られる。日本では可愛いかどうかである。したがってアメリカでは女子=女児からほぼダイレクトにセクシーに接続していくのである。
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ただちに「それ」がついてまわる。ロリータコンプレックスというものへの強烈な忌避感の理由がわかるような気がする。アリアナ・グランデ(23)など歌手デビュー時はヒヤヒヤものであっただろう。
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対して日本は、いまや「それ」がついてまわるずっと前に、赤ん坊から童女、老女までを幅広くカバーする「kawaii」に属する。生殖能力の有無や既婚未婚にかかわらず、「kawaii」のである。であるから下着ファッションなどといっても、結局はTシャツの上にキャミソールを重ね着するくらいのことになってしまうのである。
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この点についてはもう少し「ヴィクトリアズ・シークレット(Victoria's Secret)」のファッションショーに学んでほしかったのである。裸のオンパレードである。そういえば下着ファッションショーはもうやらないという噂を聞いたが、どうなのだろう? 心配である。あれ? いやいやたまに観るぶんには眼福なのである。
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もとい。そう考えると「kawaii」というのはなかなかいい言葉ではないのか、と思うのである。いつまでも子どもっぽくいろというわけではなくて、艶っぽい可愛さ、粋な可愛さ、優雅な可愛さ、典雅な可愛さ、と少しだけ適用の幅を広げればいいのである。
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「可愛い」は「愛す可(べ)し」なのである。「それ」すなわち生殖能力の有無や既婚未婚にかかわらず、愛すべき人=「kawaii」でいいのではないのか? 「sexy」かどうかは照明煌々の公の場ではなくて、どこかでひっそり当事者たちだけで判定すればいいのではないのか?
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「ladies first」と「sexy」を並べ眺めていると、彼の地では女性の価値とは結局「それ」なのかなあ、とも思う。おお、そうさ!! そうだよ! それ以上なにがあんの? といわれてしまえば、あんたたちはそうなのかあとブレそうにもなる。しかし実際に、そんな「それ」とはまったく関係なく、趣深く愛すべき人たちはたくさんいらっしゃるのである。
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もっと「kawaii」に誇りをもっていいのである。いやもつべきなのである。「日本には女の子とオバサンしかいない」ではなくて「kawaii とオバサン」がいるのである。それで十分なのである。女の子もオトナの女性も「kawaii」のである。すまぬ。オバサンだけはどうしても別枠にせざるを得ない。どや? (了)
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