「氣愛と喜愛で♪ノリノリノリカ ☆NORIKA's sensation☆」についてです。ご存じ藤原紀香(44)のブログです。しかしここではそのブログの中身ではなくて、ただただこのタイトルについてだけお話ししたいと思います。の。(←紀香のブログ本文、文末のサイン)。
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え? 紀香は44歳ではない? 6月28日が誕生日? ってことは今日で満45歳? 数えで46歳? 四捨五入で50歳? うむ。おめでとうございます。 「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」(「敦盛」、作者不詳)でございます。
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で、「氣愛と喜愛で♪ノリノリノリカ ☆NORIKA's sensation☆」です。全体をパッと見通しますと、クドい、にぎやか、そしてたいへん愚鈍な感じがいたします。愚鈍というのはたいへん失礼な申し上げようで恐縮でございます。しかし、つまり平たくいえば「一発で決められない人」ということです。
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タイトルで表現したいイメージはたしかにあるのだけれども、それを簡潔に表現できない、それでどんどん言葉を重ねてしまうわけです。しかも同じような意味合いの言葉を。未熟なペンキ職人さんがおっと色ムラだ、おっとハケ目が残った、と、なかなか切り上げられず、いつまでも何度も塗り重ね続けているようなものです。
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こんなことにならないようにするためには、ただ順序だてて考えていけばよいのです。それはまたあとにしましょう。
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そんなこんなで気がつけばこんな短いセンテンスに、漢字、平仮名、カタカナ、アルファベットが駆使されております。旧漢字まで。さらに星のマークも。しかし欲張ってあれこれ取り合わせてみても、残念ながらやっぱり神経が行き届いていないのです。大女、総身に知恵はまわりかね。
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それがよくわかるのが「♪」です。八分音符。まあ、音符、音楽といえばコレというくらい気やすく使われている記号です。しかし「氣愛と喜愛で♪ノリノリノリカ」の場合は、この八分音符の長さというものがまったく無視されています。
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四分音符「♩」の長さを「ト(↓)ン(↑)」としますと、八分音符「♪」はその半分ですから「ト(↓)」です。往ったきり戻ってきません。さあ、声に出して読んでみましょう。「氣愛と喜愛でトノリノリノリカ」。
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前のめりといいますか、「♪」に相当する部分で激しく突っ込みます。とても具合が悪いです。つまり文章のリズムへの配慮がまったくなされていない、ということです。音符まで用いながらまったく音楽的ではありません。ああ、こうして嬉々としていい募る自分が嫌いです。
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では次は「氣愛と喜愛で」、「ノリノリノリカ」、「NORIKA's sensation」の3つのパートごとに見ていきましょう。仮名交じり文、カタカナ書き、そして英文の3パターンです。
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先ほどもチラリとふれましたように、仮名交じり文、カタカナ書き、そして英文の3パターンが混在しているタイトルというのはたいへんめずらしいものです。なんとなく「キャバレーロンドン秋田店」とか、「キャバレーハリウッド赤羽店」といったようなエセハイカラ趣味、擬国際性を感じます。
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「氣愛と喜愛で」がなにを意味しているのか? については謎です。ブログ内にタイトルについての説明や、きちんとした解題ふうのものがありませんから、想像するしかありません。なので「気」「気合い」「愛」「会う」「喜び」のゴッタ煮に中国思想や中医学などの雰囲気を振りかけたものだと想像します。
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振りかけた中国思想や中医学などの雰囲気は、旧漢字の「氣」からきています。わかりやすく具体例を示せば、たとえば武術や健康法の氣術、氣空術、占いの氣質学などがあります。合気道はいまも正しくは「合氣道」と書きます。おお、しかし「合氣」は「氣愛と喜愛で」には含まれていないようです。氣志團も。
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ともかく「気」「気合い」「愛」「会う」「喜び」のゴッタ煮に中国思想や中医学などの雰囲気を振りかけたものが「氣愛と喜愛で」です。ですけれども、紀香自身はこれらをきちんと理解、整理できていません。あくまで雰囲気、気分です。
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「ノリノリノリカ」は簡単です。ノリノリで元気にいこうぜ!! いっちゃうぜ!! 紀香だぜ!! という意味です。ただ「ノリ」が2つだと「ノリノリカ」となって「ノリノリカ?」という疑問形に間違えられそうなので3つにしただけのことです。しかし「ノリノリのリカ」という読み違えには対応できません。お立ち台系のリカさん、このタイトルでブログを立ち上げてみませんか?
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さて、最後の「NORIKA's sensation」です。「sensation」 というのは感覚、知覚、気持、気、という意味です。またクドくも最初の「氣愛と喜愛で」にかかっています。循環論理といいますか自家撞着といいますか。
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ですから、「NORIKA's sensation」は「紀香の氣愛と喜愛で」と置き換えても差し支えないでしょう。置き換えたうえでもう一度全体を見てみましょう。「氣愛と喜愛で♪ノリノリノリカ ☆紀香の氣愛と喜愛で☆」。クドいです。カツをさらに天ぷらに揚げたくらいにクドいです。これが藤原紀香という人なのです。
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「ノリノリノリカ」と「 NORIKA's」と2回も名前が繰り返されているところは、きわめて強い自己愛を示しています。もうひとつベタなお見立てをしますと、「ノリノリノリカ」と「 NORIKA's」というふうに自分の名前の表記を違えているということは、自己の完全な分裂を意味しています。私にはわかります。
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自己の完全な分裂といっても、それは解離性同一性障害だとかいう話ではありません。器用になんでもできるということでもまったくありません。自分で自分を把握し切れていないというだけのことです。あんな自分もいいな、こんな自分もいいな、と不惑の年を遥かに越えてなお、まだフラフラしていらっしゃいます。私にはわかります。風水師ともユミリーとも呼ばれたことはありません。
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もうだんだん気が引けてきましたけれども、まだ書いておかなければならないことがあります。それは「氣」をもち出すところに端的に現れています。紀香は私は他の人とは違う、私はなにか特別である、という意識が強すぎます。
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で、ほんとうに特別であればいいのですけれども、正直なところそうでもありません。たしかに若いころはナイスバディで目をひく存在でした。しかしいまやそれにもはっきりと翳りが……。そこのところをきちんと自覚しなければいけないのに、紀香の場合は自分と正面から向き合うことができません。でもって水素水だとかなんだとかにすがってみるわけです。
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いまはさすがに少しトーンダウンしていると思います。しかし、半年くらい前なら、水素水について異議を唱えられると、紀香は自分自身が否定されたように感じていたはずです。水素水に自己投影するわけです。
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いったんなにごとかの権威、承認、神秘などに自己を投影してそれを肯定するという手続きが紀香の場合は必要なのです。直接自分自身を肯定することができません。例の一連の被災地支援のメッセージでも、そのように自己を肯定している態度が鼻についたために「自己陶酔」という批判を呼び込んでしまったのでしょう。
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紀香のブログのプロフィール欄にQ&A形式の部分があります。ここで紀香はこう答えています。
(質問)前世はなんだと思う?:(紀香)日本では巫女、あるときはヨーロッパの修道女etc...
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ふつう自分は特別だと思っているのなら権力者や偉人の名前、またはその立場などがでてくるはずです。邪知暴虐の王、とかメロスとか。ところが紀香の場合は人々とそれら(の霊)との仲立ちをする立場を選ぶわけです。ほんとうは鬼道をよくしたといわれる卑弥呼とでもいいたかったのでしょうけれども、そこまでいうとまた叩かれます。
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とにかく、自分を考える前にくもった鏡のようなワンクッションを置かなければいられないという、メンドくさい性質なわけです。そうせざるを得ないなにかがあるわけです。おそらくは長女、第一子として生まれたことも関係しているでしょう。根底のところで自分に自信をもてていないという感じを私は受けます。
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藤原紀香の、私は他の人とは違う、私はなにか特別であるという意識、これは「脳内ロイヤル」とまで揶揄されています。しかしその一方では自分にまったく自信がもてないという弱さがあります。藤原紀香はこのアンビバレンツのはざまで自縄自縛に陥り、ぎこちない、演技的な生き方しかできないのです。ユミリーではありません。
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「氣愛と喜愛で♪ノリノリノリカ ☆NORIKA's sensation☆」というブログのタイトルには、そんなこんなで、たいへん尊大だけれども中身のないエゴの看板、というような感じを私は受けております。
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ちなみに尾木ママ、尾木直樹(69)の謝罪大好きブログのタイトルは「オギ ブロ」です。たいへんシンプルでけっこうです。しかし背中を流そうとたくさんのオギが待ちかまえているようで、少しホラーな感じもします。
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あ、「こんなことにならないようにするためには、ただ順序だてて考えていけばよい」、「それはまたあとにしましょう」と書いておいて、すっかり忘れておりました。それはぜひ、この記事をよくお読みいただいて、自分はいったいなにをどうしたいのかを捕まえることからはじめていただければと思います。無責任で申しわけございません。(了)
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マジで売れていません!! 右のカラム分もよろしく!! お腹すいたー
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