SNSで世間になにかを公開すること自体には意味がなくなってきて、それはたとえばバーチャルなストリートライフっつーか、歩道や公園で暇つぶしをしているようなものかもしれない。それを目にしてたまさか面白いと思えば拍手のひとつも送るだろうし、見たくもないならただ近づかなければそれでよろし。
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ただそれだけのことだと思うのだけれど、まだSNSでなにかをやるということに特別な意味を感じる人たちが多いみたいだ。私のいっているのはこんなことだ。↓
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◆『日刊サイゾー』2019年6月26日配信
【辻希美、「加工肉地獄」「毎回必ず同じおかず」と揶揄された手作りお弁当の中身とは?】
《 タレントの辻希美が24日に自身のブログを更新して話題になっている。
6月17日の誕生日にはYouTubeやインスタグラムのコメント欄を開放し、多数の祝福メッセージを集めることに成功した辻。しかし、先日実父にバッグとポロシャツをプレゼントしたことを明かしたところ、「父親までSNSの道具に?」と批判が寄せられたばかり。
そんな辻はこの日、「今日は雨…。梅雨に入っただけに雨多いですね。そんな今日は朝から簡単にですがお弁当を作り」とつづり、そぼろと炒り卵のお弁当の中身を公開した。
しかし、いつもと変わりばえしないお弁当の中身にネット上では厳しい声が寄せられている。
「このお弁当をブログに載せる意味あるの?」
「またお弁当が、加工肉地獄」
「毎回必ず同じおかず。ある意味すごいな!」
「料理本出してる人の作る弁当にしてはレベル低すぎだってば」
「あのお弁当、足りないよね?大人と同じ量食べるんだもんね?」
そぼろに加えてウインナーやミートボールが入っていたためか、「加工肉地獄」とまで揶揄される事態に。4人の子どもを育てる中でのお弁当作りは大変だろうが、あえてブログに載せる必要があったのか、たしかに疑問である。》
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「加工肉地獄」はナイスフレーズ!! しかし、公園などでランチしている人の弁当を見ていちいちコメントするというのはどうもいただけない。ただの弁当をいちいちみんなに見せたい気持もわからないけれども。
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たとえそうして露出し続けていけばいくばくかの稼ぎになるとしても、ただの「弁当」はコンテンツとしてあまりにも芸がない。微細でふつうすぎる。大道芸の域にも達していない。でもってそれにまたいちいちていねいに反応する人たち。
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わざわざ辻希美が暮らしている家の前にいって、あらあらあんな洗濯物の干しかたをしちゃダメじゃない、なんていっているのとあまり変らないような気がする。よっぽど辻希美が好きなのかといえばそうでもないだろうし。
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SNS投稿がまだ少し特別だった時代なら、1人ひとりは声の小さな受け手がワラワラと蝟集して誰かを叩くおもしろさがあったのだろうけれども、いまはもう誰がなにをぶちまけるのも勝手、避けて通るのも勝手、の時代になっているのではないか、と思うわけである。実際SNS疲れだし。
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「毎回必ず同じおかず。ある意味すごいな!」って、毎回見ているほうもすごい。
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お話は変る。書いていて小学校時代の弁当のことを思い出した。1年間くらいだけだったけれども弁当をもって通ったことがあった。持っていく弁当は毎日必ず、いわゆる海苔弁に卵焼きと魚肉ソーセージ。それだけ。魚肉ソーセージはナマ。ほかには梅干しのひとつもなし。
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貧乏くさいけれども私はこれが大好きだったのだ。わざわざ頼んでそうしてもらっていた。オフクロも最初のうちは外聞を気にするような素振りもあったけれども、卵焼きだけつくればOKという手軽さを本心ではたいへん気に入っていたはずだ。もともと料理が好きな女ではなかったし。でも白飯好きってこんなもんじゃない?
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そんな私の弁当を覗き込んであれこれいうヤツもいなかったし。もちろん私も見せびらかすなんてことはしなかった。
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なんなんだろうね。みんな退屈なんだろうね。心の底ではミサイルの一発でも落ちてこないかなあ、大地震がドッカーンとこないかなあ、なんて自分でも気付かないうちに思っているヤツ、多いんじゃないかなあ。(了)
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