2018年12月23日日曜日

沢田研二も「2度殺される」のか。日本武道館3DAYS



事故や事件の被害者に対して「2度殺された」といういい方をする場合がときどきある。1度目は事故の相手や犯人によってで2度目はその後のマスコミ報道によって、という意味だ。このニュース(↓)を見たとき、不謹慎だがその2度目に近い印象を抱いた。沢田研二(70)、終了。である。





◆『NEWSポストセブン』2018年12月21日配信
【沢田研二に悲劇再びか、1月の武道館3デイズが空席だらけ】

《 「騒動後は“炎上効果”でコンサートに観客が殺到し、チケットはかなり売れたらしいんです。懐かしい、席があるなら聴いてみたいと、昔のファンが会場に足を運んだ。しかし、それも一時の特需だったようで…」(音楽関係者)

騒動とは、沢田研二(70才)が巻き起こしたコンサートドタキャンによる一連のゴタゴタのこと。

沢田は2018年10月17日に予定されていたさいたまスーパーアリーナでのコンサートを当日になって中止に。その理由を「客席がスカスカの状態でやるのは酷。ぼくにも意地がある」と本人が釈明したように、座席が7割程度しか埋まらなかったことがスターの逆鱗に触れた。

遠路はるばるやって来たファンに対して失礼などの批判もあったが、逆に世間はジュリーに注目し、この後の公演はのきなみ満席。騒動の4日後の大阪での公演は「満員御礼」の札が出るほどの大人気となった。

しかし、それも束の間。今、一部のジュリーのファンが騒動の再来を不安視している。

「ジュリーは2019年1月19日から日本武道館で3デイズのコンサートを予定しています。チケットは10月から販売されていますが、いまだ席が埋まらないと聞きます。またジュリーがドタキャンするんじゃないかと心配で、遠方から行くんですが、当日のホテルもとれないんですよ」(ファンの1人)

ドタキャンしたさいたまスーパーアリーナの公演は約9000席が販売されたが、2000枚近くが残った。一方の武道館は座席数が約1万4000超。しかもスーパーアリーナは1日公演だったのに対し、今回は3日間もある。

無事、武道館公演は行われるのだろうか。またしても開場直前に“中止”となるのではないか。

「運営側はスーパーアリーナでの反省を生かし、ドタキャン対策として集客に躍起。ファンクラブ会員向けにはがきを送ったり、他のライブでも宣伝に取り組んだり。もっと言えば、今は中途半端に売れるより、空席が目立った方がいい。マスコミが“またドタキャンか?”と騒ぎ立てれば宣伝にもなる。“炎上商法”でも何でもして、ジュリーが心地よく歌える空間を作っていくのでしょう」(別の音楽関係者)

ドタキャンされたくなければ、とにかく武道館に行くしかない。》





芸能人が産み出す価値を以下の3つに区分けして考えてみよう。

1)スキル、才能=芸能的価値
2)ライフスタイル=マーケットリーダー的価値
3)ゴシップ=マスコミ的価値



ふつう、1)「あのコは歌がうまいね」→2)「あのコが着ているものもいつもセンスがいい」→3)「あのコ、人気若手俳優と熱愛中らしい」、というように、まずはコアになる芸能スキルがあって注目され、それから徐々に2)、3)へと関心が広がりを見せつつ移っていく。と考える。

しかしいまではいきなり3)ゴシップ=マスコミ的価値でメディアに登場し、運がよければ2)ライフスタイル=マーケットリーダー的価値、1)スキル、才能=芸能的価値の獲得へとすすんでいこうとする者のほうが多い。いわゆる売名、炎上商法と呼ばれるものである。たとえば女優菜々緒(30)はその成功例として典型的だ。



逆に1)スキル、才能で売り出し、成功を収めた者が徐々に人気を失えばやがて2)ライフスタイル、さらに3)ゴシップへと順にステージを移動していかざるを得なくなる。新製品・新サービスなどのローンチに客寄せとして駆り出されるのは、主に2)ライフスタイル=マーケットリーダー的価値に依存して活動している芸能人であり、それすらも失った方々はかつての名声によって何かの場合にニュースバリューを得る。



したがって「なんだよ、またやってんのかよ」というように3)ゴシップ=マスコミ的価値すらも消費され尽くしてしまえば、それは芸能人としてはほとんど「死」に等しい。そうなる前にいずれかのステージで価値の再生産を続けていかないかぎりはほとんどの芸能人はこの道をたどる。



でもって沢田研二のこのニュースは紛れもなく3)ゴシップ=マスコミ的価値にもとづいているもので、ついに引導を渡されるときがきたのか、と感慨無量だったりするのだ。おそらく「いまがチャンス!!」と反転攻勢に出るあざとさなど沢田研二はもちあわせていないだろうし。



このニュースにはもうひとつ別の感慨もある。沢田研二は2)ライフスタイルの段階をマーケットのインフルエンサーとして歩むのではなく、中高年女のプラトニックジゴロとでもいうような独特な立ち位置を築いてやってきたのだなあ、と思う。



それはなにも沢田研二に限らず杉さま(杉良太郎・74)から「純烈」まで連綿と続いている系譜なのだけれども、沢田研二がひときわ鮮明なのは、ナベプロ時代の楽曲を棄てて、過去とは一線を画した活動をしてきたからだ。セルフプロデュースを宣言した1995年にそのジゴロ沢田研二としての再デビューがあった、と振り返ることができるだろう。



沢田研二のジゴロっぷりを支えるファン、中高年女たちはたいへん鷹揚である。鷹揚でなければ約30年もヒット曲がなく、ここ10年くらいは新曲すら出していない沢田研二のファンでいることは難しい。それと、しかしまあ、白日のもとに引き出されたジゴロはなんとも小っ恥ずかしいのう。



今年10月のドタキャン騒動のときのファンのインタビューを観ていると「ジュリーだからしかたがないわよねえ」的なニュアンスが多かった。このとき若干目線は下方向に向いていて、まるでペットを寵愛しているという風情である。「日本武道館で3DAYSなんて最近おねだりが激しいのよお」みたいな。しかしこれがつまり沢田研二ファンのステイタスなのではないか。



ワタクシ、もともと沢田研二ご本人にもファンの方々にもほとんど興味がなく、テレビに出なくなって以来はほとんど失念状態であったので余計にそう感じるのかもしれない。沢田研二とファンのご一行さまは遥かに遠い、異星に住む人々のようだ。綾小路きみまろ(68)などよりずっとずうっと遠い。



なので、10月のドタキャン騒動のときはからずも沢田研二ご一行さまのお姿を拝見し、まるで異民族を発見したような気分になった。民族とは文化的特徴と歴史的運命を共有する集団である。いや、そんなことより宗教学者・島田裕巳(65)の著書のタイトル『民族化する創価学会』を咄嗟に思い出したのだ。



『民族化する沢田研二とご一行さま』。もう来年1月19日からの日本武道館3DAYSが成功しようとしまいと、また再びドタキャンされようと、そんなことはどうでもいいくらいの、なにがどうなっているのかよくわからないけれどもとても強い紐帯で結ばれた集団である。これもまたなにがなんだかよくわからないけれども、正直羨ましい。嫉妬めいた感情さえ湧く。



沢田研二、モーゼとかハーメルンの笛吹き男とかKING of J-POPとかではなく、男っぽくたいへんプライドが高いらしい自己認識に反してKING of HOST、あるいは婦人科シンガーといったほうがお似合いなのではないのか? ちょっといい過ぎか? いい過ぎだ。すまぬ。また最後に謝ってしもうた。(了)




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