2015年10月3日土曜日
岡村隆史が笑えるのもいまのうち、の予感と理由
うっかりしていたのである。以前の記事で、よく考えもせず「明石家さんまが60歳で引退すると決めた理由はわからない」と、なにかのついでに書いてしまったのである。いまになって思い直してみれば、そんなものは決まっているではないか。疲れてしまったからである。
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さんまの睡眠時間の少なさは有名である。1日平均2時間程度らしいのである。実際に仕事で一緒だった3日間、さんまは一睡もしていなかった、という宮迫博之(45)の証言もあるのである。娘のIMALU(26)も「父の寝顔は見たことがない」のだそうである。
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睡眠の問題について、さんま自身、医者から「寝ない人」と診断されたと明かしているのである。「軽い、世間に迷惑をかけない病気」なのだそうである。睡眠時間の短さは、ときどきショートスリーパーなどといって体質のように扱われるものの、さんまほどになると、れっきとした睡眠障害なのである。
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しかしさんまは、今年、還暦を過ぎてからも、遊びのために2日間で3わずか時間まで睡眠を削るなどという生活を続けているらしいのである。テレビを見ていたはずなのに記憶がない時間があったというのである。「気絶してたんやろうね」なのである。
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さんまの精神に大きな負荷がかかり続けていることは容易に想像できるのである。仮に肉体的には疲れたという自覚はないにしても、60歳を潮時にして、忙しい環境から離れ、ゆっくり体を精神をいたわってみたい、と考えたとしてもなんの不思議もないのである。
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そんなさんまが60歳で仕事を辞められなかったのは、以前にも書いたが、ひとえに吉本興業の都合なのである。さんまは吉本クリエイティブ・エージェンシーの総売上の約8分の1を稼ぎ出す、突出した稼ぎ頭なのである。いま辞められると、その穴を埋める者がいないのである。しかもこのところ会社の業績はよくないのである。
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で、どうして「明石家さんまが60歳で引退すると決めた理由」を考え直したのかというと、9月27日放送分の日本テレビ『さんまVS怒れる美女軍団秋の3時間SP』があまりに酷かったからである。
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以前からつっこみが荒くなったり、仕切りが唐突になったりはしていたのである。しかし今回はさらに、ゲスト出演者の言葉を引き取ってはなぞるばかりのシーンがやたら目立ったのである。明石家さんまという名前がなければ完全にアウト!! という瞬間が何度もあったのである。
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蓄積した疲れに加えて、年齢による瞬発力の衰えもあるのだと思うのである。それでも会社の収益を支えるために働き続けるのである。ついお笑い芸人に対しての最大の屈辱、「同情」を禁じ得ないのである。
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岡村隆史(45)の場合も、見ていて不安になるのである。というか、これはおしゃべりであるから聞いていて不安になるのである。口が軽すぎるのである。このところの隆史は、なんにでも口を挟んでくるのである。
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10月1日のニッポン放送『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』では、かつて福山雅治(46)と同じマンションに住んでいたころ、デリヘルを呼んで雅治本人から注意を受けた、という話をしていたのである。ときの人の話題とはいえ、である。
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隆史は、おそらく抗鬱剤を服用していると思われるのである。隆史を約5ヵ月間の休業に追い込んだのは、発症の経緯から見て鬱病ではなく統合失調症である。しかしさまざまな症状が顕れる統合失調症では鬱の症状が出る場合もあり、その場合は抗鬱剤が処方されるのである。
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最近の隆史の口の軽さは休業前には見られなかったものである。顔のむくみもひどいのである。これは抗鬱剤の作用によるもの、という気がしてならないのである。付け加えれば、鳥居みゆき(34)も統合失調症の可能性が高いように思われるのである。不要なとばっちりのようである。
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しかも、隆史は同じラジオ番組のなかで、雅治の結婚を知ったとき、どういうわけか神奈川県の三浦半島に旅行をしたという話をしているのである。どういうわけか、というのは隆史本人でもよくわからない行動だったらしいのである。「ずっと海見てたもん。ボーッと。どうかしてますよ」なのである。
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で、これは本当にお笑い芸人に対しては死刑を宣告するに等しいのであるが、してはいけないことなのであろうが、やはり隆史を笑うことに対しても気が引けるのである。そしておそらく、こうした私らしくもない神経質さの陰には、アタマにこびりついて離れない、あるエピソードが影響しているのである。
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人は笑う。歯をむき出し、声を出して笑うのである。しかし人間以外に笑う動物はいないのである。では、なぜ人間は笑うのか? 笑うという行為の意味はなんなのか? ということである。これについては諸説あるらしいのである。
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それらのなかで私のアタマにこびりついて離れないのは、それは、笑うという行為は、自分より弱い生きものを目の前にして、私はおまえを捕まえて食うことができる、と威嚇しつつ宣告する行為である、という仮説である。たぶん正しくはないのだろうとは思うのだが、笑っている人を見るとき、自分が笑うとき、かなりの頻度でこれを思い出してしまうのである。
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精神分析を嫌った三島由紀夫は、「そうして精神を掘り下げていって、結局は動物の領域に入ってしまう」というようなことをいっていたのである。私はなんだか最近、どんどん動物に近くなっているような気がするのである。(了)
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