2015年9月26日土曜日

虚実ないまぜのビッグダディ清志、美奈子。川島なお美は?





テレビ朝日『痛快!ビッグダディ』でご存じ、林下清志(50)と2番目の妻、美奈子(32)が、10月9日、後楽園ホールでプロレス対決することになったのである。とはいえお互いの陣営のセコンドにつく、という話である。しかしそこはそれ、そうはいっても、2人揃って記者会見に出てきたのであるから、必ずなんらかの絡みはあるわけである。



でもって案の定、その記者会見の席上で2人がモメて「一触即発」「乱闘モード」「選手たちに押さえられる事態に」になったらしいのである。このとき美奈子、清志に向かって「「ホント、小せえオッサンだなあ」と吐き捨てたのである。清志の身長158mである。美奈子は153cm。あとで出てくる美奈子の現夫は174cmである。プロレスの世界ではみな小粒っこである。



そして美奈子は「ひと肌でもふた肌でも脱いで頑張りたいと思います」と、くすぐり発言も忘れていないのである。しかし著書『ハダカの美奈子』(講談社)まで思い出したお人好しはそう多くなかったと思うのである。映画版(R-18指定)で主演した中島知子のことはもっと忘れているのである。



ちなみに清志は1番目の妻と3度の結婚離婚を繰り返しているのである。3往復である。で、美奈子のあとにも入籍から4ヵ月、同居わずか1週間で離婚した3番目の妻がいるのである。合計バツ5になるのである。なんだか振り子の揺れがだんだん激しくなって、ついに糸がちぎれて飛んでいってしまいました、みたいな感じなのである。本題からは遠く離れるのだが、どうしても整理しておきたくなったのである。


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ついでに子どもの数も確認しておくのである。連れ子も含め通算すると、最初の妻とのあいだに12人、美奈子とのあいだに6人、3番目の妻とのあいだに2人、計20人である。このうち清志自身の子どもは最初の妻とのあいだに9人、美奈子とのあいだに1人の計10人である。しかしながら戸籍上、清志に最大時何人の子どもがいたのかは、まだわかっていないのである。



そして、そんな清志の母校である東北柔道専門学校(現:学校法人東北柔専 仙台接骨医療専門学校)の先輩には、今回の大会を主催するプロレス団体「WRESTLE-1」の代表、武藤敬司(52)がいるのである。清志とは2つ違いであるから、2人は同時期に学んでいたのである。



美奈子は美奈子で清志と離婚後、レスラー、佐々木義人(33)と4度目の結婚をしているのである。義人は元大日本プロレス所属で現在フリーなのである。ちなみに美奈子も最初の夫と2度結婚して2度離婚しているのである。2往復である。2往復ビンタである。



そんなこんなで、2人ともプロレス界には縁がないわけでもないのである。それにしても、この2人の話になると、どうしても長くなってしまうのである。掘れば掘るほど小ネタがザックザクなのである。


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ここからが本題である。このように、プロレスの試合は、リング外からすでにはじまっている場合がほとんどなのである。リング外でのストーリーを利用し、あるいはそのストーリーをつくって観客を煽るのである。こうした筋書きを業界では「アングル」と呼ぶらしいのである。であるからプロレスは、技の手加減だとか八百長だとかいわれるものも含めて、虚実入り交じったショーなのである。



で、最近はプロレス以外にもやたら「アングル」が見られるようになってきたのである。もはやメンバーおよびメンバー間のあれこれやスキャンダルでようやく成り立っているAKB48などはその典型である。誰と誰とが仲がいいとか悪いとか、彼氏との交際がバレたとか、疲れて精神的に参っているとか、もうメンバーを辞めたがっているとか、とかとかとかである。



「アングル」ではないというなら、これらすべてを非公表にしてみればいいのである。すぐにあっさり見捨てられてしまうであろう。AKB48の場合は、もうすでに、ここに紹介した程度の「アングル」には世間がなれてしまって関心を示さなくなっているのである。しかしそれでも止められない状況に陥っているのである。



AKB48ばかりでなく、いろいろなジャンルで安易に「アングル」に頼りすぎているのである。テレビドラマや映画の主演俳優同士に「熱愛の噂」とか、離婚、または別れたカップルの競演など、もうウンザリである。中身のパフォーマンスで勝負できないのなら、最初からそんな企画は諦めればいいのである。


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しかしなかには、プライベートな出来事が否応なく舞台にのってしまい、客のほうもそれに関心を示すこともあるのである。病気、子育てからの復帰とかである。この程度ならまだ受け容れられるのである。



しかしここまでである。一部の実験的作品をのぞけば、やはり舞台の上、映画のスクリーン上と現実とははっきりと一線を画しておかなければならないのである。現実の世界に立脚し、現実を離れ、現実と互角にわたりあえる作品世界をつくりあげることが、創造なのである。人を前に押し出す力になるのである。



そう考えてくると、気になるのは俳優、演者の老いと死である。今月、9月24日に亡くなられた川島なお美さんの場合は病であったが、最後に私たちの前に立った姿は誰の目にも悲痛なものであった。私は、川島なお美さんが最期まで志を貫いたことに深い敬意を抱いているのである。しかし、プロとしてはやはりあの状態で人前に立つべきではないと思うのである。ましてやミュージカルの舞台など、である。



いくら観客が応援し、求めてくれても、所期のパフォーマンスが期待できない状態にあるなら、その舞台を降りるべきである。それが舞台や観客に対しる誠実だろうと思うのである。このことは批評の不在というテーマも含めて、これまでに3回、追悼をのぞけば2回書かせてもらっている。




川島なお美さんの死の翌日、25日に出された坂上忍(48)のコメントは、演者の側から、そしてたいへん思いやりに満ちた、遠慮がちないい回しでよくこの問題を語っているのである。まず「僕は降りるべきだと思った。共演者は気をつかっちゃうし、なによりなお美さんの身体のことを考えたら降りるのがベストな選択」というのである。



そしてさらに続けて「僕もケガで降板したことがあるので、本当に情けないし悔しい。なお美さんの場合は最後の舞台になるかもしれないという状況のなかでの決断だったわけで…。それを考えると、僕らの仕事の責任の取り方とか引き際の選択の仕方ってどうやったらいいんだろうって、ちょっとよく分からなくなってしまった」なのである。



日本は超高齢社会なのである。年寄りの俳優や歌い手だってこれからますます増えるのである。忍のいう「引き際の選択」を個人だけの問題として看過しない、なにがしかの工夫が必要だろうと思うのである。それには観客の声、厳しくても、ともにエンターテインメントや芸術を育てていく者としての判断、それから自立した批評家の忌憚ない指摘が不可欠なのである。



日本では、推計では今年1年間におよそ130万人が死亡しているのである。これからはさらに増え続け、2030年には年間死亡者数160万人を越えるのである。毎年毎年これだけの人数が死んでいくのである。死や病が蔓延する世界でのエンターテイメントや芸術を、ひいては生き方を、時間をかけて具体的にシュミレートしなければならないと思うのである。それが川島なお美さんが遺してくれた課題だと思うのである。 (了)



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